2011年05月18日
第26話 あんたは志村けんか!?
オフィスに入ると、選手の上司らしき人が出てきた。
「・・・・・・・・」
その選手は、多分、日本へ電話をしたいと、言っていた。だが、俺の前に現れた上司は、「チャレンジをしてみる」みたいな事を言っている。
「なんで?チャレンジ??」
ここは、電話局のはずなのに……それほど、当時の通信環境は悪かった。電話局の一階に下りると、そこは、郵便局のように、受けつけカウンターが数席程度ある、簡素なオフィスだった。
カウンターの向かいには、電話ボックスが三つあった。俺は、指示された中央のボックスに入った。ボックスに入り、カウンターの向こうを見ると、選手と上司は、電話を持って、なにやら悪戦苦闘をしている様子だった。最近の若者は考えられないかもしれないが、昭和40年代くらいまでは、交換手という職員の人がいて、忘れたが、ある番号をまわすと、交換手の人が電話口の向こうに出てきて、番号を伝えたものだった。確か?ダイヤルもなく、
妻はその時、妻の実家にいた。一人では物騒だからという理由で実家に帰していた。そして、待つこと五分。カウンターの向こうから、上司は叫んでいた!
多分、「電話を取れ!!」みたいな英語で……。そして、俺は、ゆっくりと受話器を右手に持つと、右耳に受話器をつけた。一ヶ月つぶりの妻の声。どれほど…この時間を長く感じたことか。そして、俺は話し始めた。
「もしもし、俺だよ!」
「……………」
あれ???
「もしもし、……さんですか?」…妻の実家の性。
「………」
(通じてないのか?だめなのか?)
「もしも~し。高尾ですけど!!」
落胆をしながら、俺は叫んでいた。その時だった。受話器の向こうから、なにやら音がしてきた。やはり、通じていたのか!
「はい?どなたですか??」
「あれ?だれですか?高尾です!」
「え……どなたですか??」
やばい、電話の向こうは、実家のおばあさんだった!何がやばいって、おばあさんは最近、耳が遠くなり、隣に座って話しかけても、なかなか聞き取り辛い状態だった。よりによってこんなときに!
「高尾です!・・・はいますか??」
「はい??どなたですか??」
「高尾です!!!!!」
電話局の一階で、俺は日本へ叫んでいた。いや…おばあさんに叫んでいた!その状況を見る職員と、お客さん。「この日本人、どうしたんだ??」というような目つきで、俺を見入っていた。だが、それも仕方がない!俺も必死だった。この機会を逃すわけにはいかない!やっとつかんだ日本への通信回路。これを逃したら……心はあせった。
「もしもし!!高尾ですよ!!!」
「え……だれですか???」
(あんたは!!志村けんの!!ボケばあさんか!!!)
おばあさんに罪はないが、何万キロも離れた妻との距離…やっとのことで、一ヶ月ぶりに縮めたかと思ったら、身内(おばあさん)に引き離されそうになっていた!
「おばあさん!!俺ですよ!!高尾ですよ!!!」
だが、国内より通話状況が良くないことは確かだった。それは俺もわかる!だが、おばあさんの返答は!
「いたずら電話はやめてください!!」
「ガチャ・・・プ…プ…プ…プ…」
パキスタンでただ一人。やっと電話が通じたと思ったら……世の中なかなかうまくいかないものだ!
(おばあさん!勘弁してくれよ!!)
落ち込んでいると、上司が近づいてきた。
「オーケー??」
俺が妻と電話をしたと勘違いした上司は、俺が喜んでいると勘違いしたらしい。
「ワン・モア・タイム!!」
俺の叫びに、上司はビックリしていた。だが、次に出てきた言葉は……「エクスペンシブ!!」だった。つまり、電話料金が高いと言いたいらしい。だが、俺はここで引き下がるわけにはいかなかった。せっかく、日本と通信が出来たのに……あんな終わりかたでは!
「いくらだ??」というと、申し訳ないが、さっきの通話で、400ルピーもしてしまったと恐縮していた。つまり、日本円で800円。現地では確かに高い。だが、その程度で済むのであれば、俺は何度でも電話をする勇気が出てきた。
「オーケー!ワン・モア・タイム!」
俺は上司に叫ぶと、彼はまた、なにやら作業を始めた。そして、待つこと三分。電話機の向こうに………
「もしもし…?もしかして?」
「…………」
妻の声が聞こえてきた。たかが一ヶ月離れただけなのに……なんだ?この感動は???これがもし、アメリカやヨーロッパなら、この感慨はなかっただろう。同じ地球なのに!同じアジアなのに!果てしなく遠いパキスタン。物理的にも、精神的にも、数万キロにも感じてしまう、パキスタン。目からは、涙が落ちてきた。何が悲しいのか?やっと電話が通じて安心したのか?俺は涙腺をコントロールすることが出来なかった。
(早く帰ろう!!)
そう決意をするものの、俺に残された時間は、後、一月もあった……。
※次回、第27話は5月25日(水)更新となります。