2011年10月26日
第48話 謎のレスラーの正体は…
パキスタン紀行を書き出してからの話だが、俺と闘った相手はいったい誰だったのか?気になってある人に相談をした。猪木と闘ったレスラーの甥ではないか、という説明を受けたが、真意は定かではないし、確認する術もない。
ただ、その話が本当であるとして、猪木と闘った相手とは、いったい誰だったのか。そのスジの話に詳しいA氏からの情報によると、名前はアクラム・ペールワンというパキスタン格闘界の英雄である事がわかった。
猪木とパキスタン人が並んで写っていたポスターは、アクラム・ペールワンだったのだ。その後、アクラム・ペールワンの情報を調べるべく、ネットやユーチューブを検索してみた。そして、その情報から得られたペールワンの正体。また、アントニオ猪木との壮絶な闘いは、俺の想像を絶するものだった。
1976年12月12日。パキスタン・カラチのナショナル・スタジアムで有料入場者数約5万人を集めて行われた アントニオ猪木対パキスタンのレスラー、アクラム・ペールワンの一戦は 3ラウンド1分5秒、猪木のアームロックによりアクラムが左腕を脱臼したためドクターストップで猪木の勝利となった。
当日の試合直前、猪木サイドは相手側からノールールマッチを提言された。アリ戦で、終始マットに寝ていた猪木の闘い方を見て、相手側は猪木の実力を過小評価していたようだ。アントニオ猪木に劇的な勝利をおさめれば、アクラム一族のパキスタンでの地位は安泰だ……という楽観的な見方から、自ら猪木の得意とするノールールマッチを要求したのだった。
観衆はパキスタンの英雄の勝利を疑わなかった。しかし、日本から来た謎のレスラーアントニオ猪木は、1ラウンドから優勢な立場になり、一方的な試合を展開した。そして、3ラウンド1分5秒、ドクターストップ。一説によれば、アクラムの腕は1ラウンドの時点で脱臼していたという話もある。
さて、この試合の後、アクラム一族は、アントニオ猪木の首を狙い続けた。この試合以後、最強のレスラー一族の名を誇っていたアクラム一族は、没落の一途をたどっていった。彼らが名誉を再興するには、アントニオ猪木の首を取るしかなかった。しかし、その執念も様々な要因により実現することは出来なかった。
アクラム一族の本拠地は、ラホールであり、今でも末裔は復讐に燃えてトレーニングに励んでいるという情報もある。
そして、1993年。ラホール市内に滞在していた俺であるが……日本人の柔道家と言うだけで……なんで俺がアントニオ猪木への復讐の的にされなければならないんだ!? しかし、試合はもう…始まってしまっていた。
つづく…
次回、第49話は11月2日(水)更新予定となります。