第1話 はじめに

2011年01月24日

第1話 はじめに

  1993年。湾岸戦争真只中、私はパキスタンを目指して成田空港を飛び立った。と、言っても、イラクに対してイランを挟んだ位置にあるパキスタンに、戦争の影響を感じさせる情報は全くなかった。
  パキスタンに向けて飛び立ったボーイング機は、マニラ、バンコクと経由をし、約一〇時間をかけて、目的地のカラチに到着をした。

 そして、最初の試練が待ち構えていた。
 
 ベルトコンベアーに乗せられて、乗客の荷物は降ろされてきた。トランクから段ボールに入った荷物まで、グルグルと回るベルトコンベアーの上を回転していく荷物。私も、自身のトランクを待ちながら、この旅の行く末を案じていた。

 そして、待つこと三分。やっと、私の荷物らしきトランクが見えてきた。シルバーのトランク。遠目にも、私のトランクであることを確認することが出来た。
  だが、何かがおかしい。私の物と思われる、シルバーのトランクだけが、通常の状態ではない――なぜか開いたままの状態で、送られてくるではないか……。

  この情況を理解の出来ないままに、私は口の開いたトランクを見つめるしかなかった。私の前を通り過ぎていく――私の物と思われるトランク。頭の中で、なぜ、そういう状況で出てきたのか……理解の出来ないままに、二周目も通過をしていった。

  さすがに二周も目の前を通過すると、私のトランクであると認めるしかなかった。形状、成田空港で取り付けられた札番号、どれを見ても私のトランクであることに間違いはなかった。
  三周目にトランクが周ってくると、私は諦めの境地で、トランクを抱きかかえた――開いたトランクの取手を持つことなど不可能であったから。
  そして、床にトランクを置くと、期待をしないで中身を確認する作業に入った。「あれも無い、これも無い」という状況ではない。残ったものを確認するのに、多くの時間を要しなかった。

  トランクの中には、商売道具の柔道着が一着……ポツンと、身を横たえていた。その他の所持品は全て見当たらない。なぜ、二着持ってきた柔道着の、一着だけが残っていたのか、未確認のままである――確認のしようもないのだが。

  パスポートと現金は、ウエストポーチに入れていたので盗まれることはまず考えられない。異国の地パキスタンで、私に残されたのは、パスポートに現金、そして、一着の柔道着。生きていくために、必要最低限のものは残っていた。

  楽観的な性格から、「まあ、何とかなるか!」と、入国審査を受けるために、空港内を移動していた。
  普通はここで、紛失届を警察に出すのだろうが、私はその行動に出ることはなかった。何故ならば、私の語学力が警察を相手に、失われたもの全てを伝きれるほどの能力を有していないと、自ら認めていたからだ。  

   警察では、どのような手続きがあるのかさえわからない。だが、カメラに時計に、多数の衣服類。果ては、ポケットティッシュに非常食の「佐藤のごはん」。「チキンラーメン」に至るまで、全てを伝え、その後書類に目を通してサインをする作業を考えると、これも運命だと思いこみ、諦める方が精神的には楽だった。
  飛行機から降ろされた荷物の中身が盗まれるということは、ほぼ一〇〇%、空港職員の仕業であることは間違いない。

 「何があっても驚くなよ!」

  行く前に、諸先輩方に言われたその言葉。パキスタンと聞いて、何があっても驚かないと覚悟をしていたつもりだが、これほどまでの洗礼を受けるとは……。
  
  もう、油断はしないと決意をしていたのに。
  ホテルでは毎日盗難にあい、衣服から日用品まで盗まれる有様。
  ホテルのフロントに訴えるものの、「わからない」の連続。
   バスに乗れば、窒息寸前まで満員に詰められ……バスを拒否してタクシーに乗れば、ドアがない。「開放的!!」と、叫んだこともあった。
  何を食べても……高級レストランで食事をしても、毎日が下痢。
  ナショナルチームなのに、選手はやる気があるのかないのか、時間通りに集合する選手など皆無。日本のように、時間厳守という概念が全くない――いや、あった。練習終了の時間だけは厳守をしていた!
  畳がない!マットはあるものの、砂漠の砂が吹いてきてマットの上は砂でザラザラ。練習を終えると、なぜか柔道着が砂で真っ黒に汚れている。
 
  町を歩けば自動小銃の中を潜り抜けるような毎日。ホテルにあった宝石店も強盗に襲われ、夜空を眺めて流星かと思えば銃弾の閃光。
  高級ホテルなのにシャワーは水で、国際電話なんて全く通じる気配さえない。買ったミネラルウオーターを飲んでも、なぜか腹を下し、マイルドセブンを買ったのに、味は全く別物。
  ジュースの瓶の口に、直接唇をつけては駄目だと言われ……疑問に思いながら口をつけたら腹を下し。トイレに行っても、ペーパーなど全くなかった。

  町を歩けば物乞いが列を成し。「どこから来た?」と聞かれたら、「北京」と言っていた。「ジャパン」と言った瞬間に、襲われるか誘拐されると、真剣に思っていた。

  そんなパキスタンでの二か月。柔道ナショナルチームのコーチとして派遣されたのに、異種格闘技戦まで?

  そんな二か月の物語。少々、お付き合いいただければ幸いです。

abc123da at 14:32コメント(1)トラックバック(0) 
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