2011年12月21日
第55話 最終回……
さて、この物語も最後となってしまった。ラフォールからカラチへ移動し、ホテルで一泊。柔道関係者とは先日別れて、一人だけのカラチ滞在。ラフォールであれば一人で外出も出来たが、新しく滞在するマテでは外に出る勇気はなかった。
ホテルの空調は異常に寒く、設定が18度になっていた。あまりに寒いため、温度を上げようとするが、機械が壊れていて部屋の温度が上昇することはなかった。おまけに、ベッドにはシーツが一枚かけられているだけで、夜の寒さは日本の冬を思わせる状態。
ボーイを呼んであれやこれやと説明をするが、全く通じなかった。外に出れば40度の暑さ。中に入れば18度の寒さ。いったい、何がどうなっているのか? 最後の最後まで、意味不明のアクシデントに悩まされていた。
しかし、パキスタン滞在も残すところ一日。ここで動揺することはないが、体は正直で、最後の日に風邪をひいてしまうという最悪の状況。薬があるわけでもなく、相談する相手がいるわけでもなく、ただ、ひたすらにホテルの部屋で発熱に耐えていた。これは、部屋の温度環境だけでなく、「明日は帰れる」という気の緩みからの発熱かもしれない。とにかく、二か月間の疲労が一気に出てきたのだろう。
全く食欲がないため、一日中何を食べるわけでもなく、ミネラルウオーターを飲みながら部屋で発熱に耐えていた。そして、一晩を超えて、ホテルを後にすると、体調不良のまま空港へと向かった。
到着時には、荷物のほとんどを盗まれたカラチ空港。しかし、明日は日本にいると思えば、恨む気はなかった。明日日本に帰ることが出来れば、パキスタンで起こった様々なアクシデントなど、すべて許された。
そして、荷物を持ってカウンターへ行くと……カウンターの係員が俺のバッグを指さしながら、何かを叫んでいた。何を言っているのかと聞いてみると……。
「お前の荷物は10㎏も重量オーバーだ」
と、言っているではないか。何をいまさら……この国で、重量オーバーなどという基準があるのか? 現に、昨日ラフォールからカラチへ移動した飛行機では、重量オーバーなどということは一切言われなかった。要するにこれは、この空港職員が俺に対して勝負を仕掛けている……俺から金を巻き上げようとしている……そう考えた俺は、最後の臨戦態勢に入った。
空港職員は言った。
「10㎏オーバーだから、500ドル出しなさい」と。
もう、笑うしかなかった。ここまで来て、最後に重量オーバーで500ドルも払えるか。どこまで日本人をなめれば気が済むんだ……絶対に妥協をするわけにはいかないと思うと、俺は叫んだ。
「ノー」と。
しかし、空港職員も強気だった。払わないと荷物を飛行機に乗せないというではないか。確かに、バッグの重量は10㎏を越していた。お土産にと買い込んだ革ジャンがこれほどまでに重いとは、予想をしていなかったが、せっかく買い込んだ革ジャンを置いていくわけにはいかない。
二か月前の俺ならば、ここで速やかに500ドルを払っていたかもしれない。しかし、その時は二か月間をパキスタンで暮らした日本人……観光で遊びに来ていたわけじゃないから、鍛え方が違っていた。そして、俺はある作戦を思案した。
たぶん、この作戦で成功する自信はあった。だが、もし失敗したら……一抹の不安を持ちながら、俺は職員へ話しかけた……右手に50ドル札を握りながら。
「プレゼント・フォー・ユー」
そう言うと、俺は50ドル札を職員の前に突き出して、笑顔で彼の眼を見た。そして、彼の目線が緩むのを確認すると、この作戦の成功を確信した。そして、職員は……。
「ウエルカム・トュー・カラチ」
というと、50ドル札を自分の胸ポケットに入れ、難なく鞄をベルトコンベアーに乗せていった。恐るべきパキスタン。最後の最後まで俺のドルを狙う執念には、もう笑うしかなかった。
飛行機は離陸した。下に見えるパキスタンの赤い大地。悲しさは全くなかった。逃げ出すような気持ちで、赤い大地が見えなくなるのを望んでいた。
いったい、何時間寝たのだろうか? 飛行機は、マニラ空港へ到着をしていた。マニラを経由して成田までの旅。俺はマニラで一度飛行機を降りると、急いで待合室へ向かった。そして、一目散にバーのカウンターへ行くと、メニューを見ていた。
夢にまで見たビール。成田まで我慢するか、この場で飲むか……悩みに悩んだが、俺はビールを注文してしまっていた。二か月も我慢したアルコール。我慢というよりは、物理的に飲む環境にいなかったこの二か月間を思い出しながら、俺は一気にビールを喉に流し込んだ。
痛みとも思える刺激が喉を通過していった。すると、一瞬のうちにアルコールは血液に吸収され、俺の脳を刺激しだした。ポーとする頭に、充血する眼球。あまりの高揚感に、原因不明の不快感。アルコールを抜いた二か月間は、俺の体を未成年の状態へと変化させていたのか……一気に吐き気をもよおしてきた。
俺はトイレにかけこむと、便器に向かい先ほどのビールを一気に吐き戻した。そして、全部出し切ると、なぜか涙がポロポロと出てきた。
あの涙はいったいなんだったのか。カラチを出国するときは、なんとも思わなかったパキスタンへの思いが、一気に噴き出してきたのだった。辛いことばかりだったあの二か月が、なぜか愛おしくて仕方がなかった。裏切られ、盗まれ、怖い目にもあったのに、なんで涙が出てくるのか……自分でも理解が出来なかった。
そして、飛行機は成田空港へ到着をした。あれほど帰国を夢見た日本。でも、なぜか俺はもう一度、パキスタンの地を踏みたいと思いながら、入国カウンターで順番を待っていた。なぜだ、なんでこんな気持ちがわき出てくるのか……パキスタンとは、言葉にはできないほどの感情を俺の心に植え込んでいた。
それから二十年が経とうとしている。俺はいまだに、パキスタンへの渡航を実現していない。行く理由もなければ必要性もない。懐かしさだけで訪れる勇気も時間もない。しかし、何年経とうがあの時の記憶は鮮明に焼き付いている。
一年にわたりパキスタン紀行をお読みいただきました読者の皆様、本当にありがとうございました。私的な物語ですので、どこまで共有していただけたかはわかりませんが、これはノンフィクションですので、そのまま受け取ってください。
「パキスタン紀行2」は今のところ用意していません。私がもし、パキスタンへ渡航する予定があればいいのですが、その予定も全くありませんので、この続きは今のところありません。
もし、皆さんが観光でパキスタンを訪れることがあれば、ぜひ、ラフォールへ行ってみてください。砂漠の中に沸くオアシス。きれいな街ですが、一歩裏へ行くと貧しさの限界を見ることのできる……日本では感じることのできない世界が広がっています。
それでは、次回はどのような形でお会いできるかわかりませんが、今まで本当にありがとうございました。また、お会いしましょう……。
高尾淳
※今回を持ちまして最終話となります。約1年間のご愛読誠にありがとうございました。